チョコとビールのおいしいベルギーに住んでウン十年。
ガンバをかついで旅することの多い日々。
I'm sorry, it's only in japanese...

「その5」を書いてから随分間があいてしまいました。

あけましておめでとうございます。

 

つづき

 

わたしは、留学したとき日本大使館の一等書記官のお宅に

住み込みのベビーシッターとして来た。

留学費用がなかったからである。

ブリュッセルの学校に入れなかったら

そこのお宅にもご迷惑である。

一等書記官であるそのお宅のお父さんは、

わたしの話しを聞くと、早速コンセルヴァトワールへの手紙を書き、

日本大使のサインをもらって来て下さった!

 

それが功を奏したのかは知らない、

とヴィーラント先生はおっしゃっていたが、

とにかく無事に入学でき、ブリュッセルでの生活が始まった。

始まった途端に、公共の全ての仕事がストライキになり、

バス、電車、ゴミ回収などがストップして大変なことになったが、

なかでも郵便がストップしたので、わたしが無事にベルギーに着いて

入学試験も通りましたという手紙が、親にも先生にも届かなかった。

同じに出しても何通かなぜか届いた手紙もあり、

親は怒り心頭に達していた。

電話代が恐ろしく高い時代であったので、

お互いに電話で確かめるということもしない親子であった。

 

一ヶ月という長いストライキを乗り越えて、

つまり道はゴミだらけ、どこに行くにも歩きという悲惨な状況を

一ヶ月も耐えたあと、ようやくこちらにも郵便が届いたと思ったら、

親からの怒りと悲しみの手紙である。

ちなみにその郵便状況は、今でもあまりスムーズとは言いがたい。

 

さて、入学した時に、ガンバのクラスに既に上野学園の先輩がいた。

その先輩は、ちょうどガンバを続けるかどうか迷いの時期にあった。

それで、レッスンにも出てこなかった。

わたしとヴィーラントはその先輩を誘うために、

コンソートの曲を用意した。一緒に楽しもうよ、と。

そこで、ヴィーラントと一緒に弾くことが始まり、

面白かったので、その先輩が待っても来ない時にはデュエットを弾いた。

 

自分のレッスン以外に、そんな贅沢にゆるゆると遊ぶ時間を共有していたら、

その年に限って、ガンバのクラスが学校の企画のオペラの前座に

参加することになった。

ほとんどのガンバの生徒はドイツやフランスから通っていたので、

ベルギーに住んでいるわたしと、その先輩が(無理矢理)

ヴィーラントと出演することになった。

ヴィーラントとの練習の時間はすごく楽しかった。

わたしが最初の一音を出すのに緊張してぷるぷるしていると、

全部の音をぷるぷる弾いて遊んだりした。

 

まだあまりフランス語もできないわたしだったが、

こんな風に一緒に弾いて、ガンバや人としての生き方の多くを

体得させて頂いたと思う。

 

そして楽しく一緒に弾いていたある日、

ヴィーラントに、自分のソロのCDの通奏低音を弾いてね、と頼まれた。

いつも弾いているシギスヴァルトが忙しくてできそうもないから、と。

なんとなく、日々の延長というかんじで、

のんきに引き受けた。

 

なぜヴィーラントのような巨匠とわたしが共演するのかを

疑問に思う人がたくさんいたが、

今更だが、このようなきっかけからであった。

色気にあまり興味のないわたしのことを知らない人は、

わたしがヴィーラントと付き合っている、と思っていたらしいが、

お父さん的な存在であったと思う。

 

ちょっと不思議なことでもあるが、

留学前、お茶の水の駅のホームでぼんやり電車を待っていた時、

頭に、漫画の吹き出しのように、

まだ見ぬヴィーラントと舞台で共演しているワンシーンが

ポっと浮かんだ。

その時は「なんじゃこりゃ、ありえなーい」

とその絵を打ち消したが、あとから一緒に弾くようになった時、

あ、これだ、と思った。

 

 

次回からは、ヴィーラントのエピソードをいくつか書こうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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    さて、ブリュッセル王立音楽院の入学試験である。

     

    地図を見ながら学校にたどり着き、門のところまで行ったら、

    親切な人がドアを開けてくれた。

    ずっとあとで、同じく入学試験を受けに来た

    ジェローム・アンタイ(Jérôme Hantaï)くんだと知る。

     

    ともあれ控え室らしきところに案内され、呆然と立っていたら、

    にこにこした人が近づいて来て、

    「カオリ・ウエムラ?」と言った。

    わたしは、この人は一体誰か?と思った。

    なにせ、インターネットのない時代である。

    ヴィーラントの顔は、その時から20年ほど前に出たLPの写真で唯一見た

    黒い髭もじゃの人だったが、

    この人はこざっぱりしていて、ヒゲも黒くないし短い。

     

    校長先生とか、事務の人かもしれない、と思った。

    なぜ名乗ってくれないんだろう、

    もしかしてヴィーラントなのかな?と思い悩みつつ、

    試験を受けた。

    終了後、そのこざっぱりした人が近づいて来て、

    試験は合格だが、今年から外人枠がせまくなっていて、

    入学できるかどうか分からない、と言った。

     

    その人の目の色がすごく青くて、どこに焦点を合わせてしゃべっているのか

    把握できない。

    それで、わたしの後ろには誰もいないというのに、

    何度も後ろを振り向いて、話し相手が自分であることを確認した。

     

    最後にブリュッセルに入れなかったら、

    かおりのためにデン・ハーグの学校に場所をとっておいてあげる、

    と言ってくださり、やっと、ああこの人はやっぱりヴィーラントだと

    納得した次第である。

     

    そのときわたしは、たどたどしいフランス語で、

    「わたしはフランス語で勉強したいので、オランダに行く気はありません」

    と言ってしまったのである。

     

    夕日を背にした青い目の(ほんとは緑っぽい)巨匠が、

    二の句が継げない、という顔になっているのを見た。

     

    つづく。。。

     

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      ベルギーに留学する前の学生時代、

      わたしはいろんなコンサートに顔を出し、

      特にヒゲの3人に犬っころのようにかわいがってもらった。

      ガンバ奏者の宇田川貞夫氏、リュート奏者のつのだたかし氏、

      リコーダー奏者の吉澤実氏である。

       

      初めてつのださんの実家である、

      東京で一番最初にできた新宿の美容院に行った時、

      宇田川さんにもつのださんにも

      「かおりー」と呼ばれた。

      つのださんとは初対面でもあったので、

      「あのー、ちょっとお聞きしますが、

      初対面なのにどうしてかおり、と呼び捨てするんですか?」

      と聞いた。

      「お前はそういうやつだよ。」

      と意味不明な返事をもらったが、わたしは、

      「そうなのか」と思った。

       

      実はそれまで年上の人と話すのが超苦手で、

      先輩を含め、先生にレッスンを受けている時ですら、

      ろくに返事もできない子であった。

      しかし、その時わたしのoffだったスイッチがonになり、

      ヒゲの3人とバカ笑いしながらしゃべれるようになった。

       

       

      そのヒゲの面々に、いかにヴィーラント・クイケンと勉強するといいかを

      吹き込まれたので、大橋先生の

      「ジョルディ・サヴァールのいるバーゼルに行くといいのでは?」

      というご助言が全然耳に入らなくて、ベルギー!と決まった訳である。

      すわ、大学の授業をさぼって、アテネフランセに通い、

      せっせとフランス語を学んだ。

       

      そんな訳でいよいよベルギーで入学試験を受ける日が来たのである。

       

      つづく。

       

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        わたしがガンバをやめそうになった時が二度ある。

         

        まず高校受験の時。

        受験勉強を言い訳に、全然ガンバの練習などせずに

        それでも往復6時間の東京でのレッスンに行った。

        よく親も何も言わずに電車賃を出したと思う。

        ちなみにレッスン代は破格の2千円であった。

        遠くからはるばるいらっしゃるんですから、という大橋先生のご好意である。

        自分が親になって子どもに習い事をさせる今、改めて驚く。

         

        そんな練習もしないで行ったレッスンが何度か続いたある日、

        多分今考えると、

        さすがに先生もあきれていらっしゃったのではないかと思われるが、

        もう来なくていいです、と言われた。

         

        わたしは、もう来なくていいって、と気楽に母に伝えた。

        受験に専心する時期であったので、かえってラッキーと思ったのだった。

        そして約半年ほどのんびりと休み、いや、せっせとそれなりに勉強し、

        近所の高校に受かってしばらくのんびりしていた春休みのある日、

        母がガンバの先生に電話したら?と言った。

         

        もうやめる、という気も特になかったので、先生に電話したら、

        来る気があるならいらっしゃい、と言われた。

        それで、またぼつぼつと通うことになった。

        全くもって受け身である。

        そのまんまのんびりとまた東京に通うことになったが、

        その当時はやっていた「エースをねらえ!」にすっかり夢中になり、

        テニス部に入ってテニスばかりやっていた。

        ガンバを練習する時間はない。

        岡ひろみになった気になって、藤堂さんの出現を待っていた。

        東レの試合を東京まで見に行き、

        キング婦人にファンレターを渡したりしていた。

        テニスをやった後は指がぷるぷると震えるので、ガンバは弾けない。

         

        世界を目指してエースをねらってしまっていたので、

        ごく初心者の試合なのに持久で勝つという考えがなかった。

        それで、試合中一発でもエースが決まれば大満足であったので、

        試合に勝つことはなかった。

        そんなある日、進路を決めて

        受験する大学を選択する時期がやって来た。

         

        体育大学に行くのか、音大に行くのか。

         

        スポーツというのは勝たなくては話にならない。

        勝つ気のあまりないわたしは、スポーツには向いていないな、と思った。

        それですっぱりとぷるぷる指の震えるテニスを止めて、

        音大受験のために絶対に弾かなくてはいけないピアノを練習し始めた。

        一年間同じ曲をずーっと練習した。

         

        そんなのんびりとした選択であったのに、

        音大に受かったとたんに留学することに決めた。

        それは、幼稚園のときから外国に住もう!と思い込んでいたからである。

        ガンバでなければ、他の理由で日本を出るつもりであった。

        小さい頃うちに来た外人が、わたしの妹をもらって連れて帰りたい、

        と言うことが何度かあった。

        なぜ、わたしではないのか?残念だなーと思うような子であった。

        もしわたしが連れて帰られたら。。。

        その後のわたしの頭の中は、赤毛のアンであったり、

        秘密の花園の少女であったり。。。

         

        その甲斐?あって、ベルギーに初めて到着した日、

        前から知っている場所のような氣がした。

        そして、いよいよ巨匠ヴィーラント・クイケンのもとへ。

         

         

        つづく。。。

         

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        巨匠レオンハルトは、一生のうちに一度しかマタイ受難曲は振らない、

        と決めていらっしゃったが、

        その一回の後数年して、

        オランダバッハ協会のために再度指揮して下さった。

        その記念すべき演奏会を聞きに行くべく、

        わたしはブリュッセルからオランダのハーレムという街に急いだ。

         

        ついでにと言っては何だが、

        夫(寺神戸亮)がコンサートマスターをするので、

        晩ご飯を待ち合わせて食べようと。

        わたしたちは、リハーサルが終わると、

        インド料理屋に行った。

        オケの他のメンバーたちは、オランダ人らしく皆お弁当持参である。

        それで、外に食べに行ったのは、わたしたちだけであった。

         

        さあ、食べ終わって本番まであと30分という

        ちょうどいい時間に店を出ると、コンサート会場である教会に戻った。

        すると、ドアが全部閉まっており、中から音が聞こえて来るではないか。

        関係者が、もう始まっているので入れない、と言う。

        ええ!ぼくは、弾くはずなんです、と夫はうろたえるし、

        わたしもなんで始まってしまったのか、わけがわからない。

        なんと、のんきなオットは、開始時間を1時間間違っていたのだ。

        どうりで休憩時間が短くて、みんなお弁当だったのだ。

         

        裏の入り口からようやく入れてもらった夫は、

        前半が終わるまで控え室でじーっと待つ羽目になった。

        まあ、自業自得である。

         

        コンサートマスターが戻ってこないので、

        オケのメンバーたちが泡食ったのは想像に難くない。

        だれが後半のソロのアリアを弾くのか!

        というのが一番のポイントだったそうだ。

        結局、一番若いヴァイオリニストがやってもいい、と言って、

        みんな胸を撫で下ろした。

        しかし前半終わって控え室に戻ったら夫が待っていたので、

        やれやれとその経緯をお互いに話したと言う訳だ。

         

        後半自分の席に座っている夫を見つけたレオンハルトは、

        にっこり微笑んで、何事もなかったかのように後半が始まった。

        わたしともう一人、日本からわざわざそのコンサートを聞きにいらした方は、

        前半を聞き逃した。

        コンサートが終わって、夫が別の控え室にいたレオンハルトのもとに

        お詫びに伺うと、微笑んだまま静かに

        「映画はおもしろかった?」

        とおっしゃった。

         

        いくらなんでも、夫もこのエピソードは忘れられないらしい。

        わたしは、一応仲良しのミネケのガンバソロを聞いてあげられたので、

        案外満足であった。

         

        さて、前に書いた時には見つけられなかった写真が出て来たので、

        ここに載せます。

         

        レオンハルト宅でのクイケン・クインテットのリハーサル風景。

        暗めの部屋で、よく楽譜が見えたことだ。

         

         

        翌日の朝食風景。

         

         

        玄関前で。

        奥にいらっしゃるのは、ご夫妻のお友だち。

         

         

        Vicenzaでリハーサル中。

         

         

        庭で思索中の巨匠。

        写真など撮っては申し訳ない、と気が引けて、遠目である。

         

         

         

         

         

         

         

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