チョコとビールのおいしいベルギーに住んでウン十年。
ガンバをかついで旅することの多い日々。
I'm sorry, it's only in japanese...

ある日、師ヴィーラントのお知り合いの家で

生徒たちのプチ・コンサートがあった。

試験の前に弾かせて下さる、という訳だ。

 

わたしはその試験は弾かなかったのか、

聴く側に回っていた。

そうしたらヴィーラントがわたしに一緒に司会をやってくれない?

と言うのだ。

「知っての通り、僕は人前で話すのは恥ずかしいので、

僕がマラン、と言うから、かおりはマレ、と言うとか」と。

この漫才のぼけと突っ込みのような発想は何なのか?

 

結局そんな漫才はしなかったが、実際ヴィーラントはシャイな人である。

コンサートの後に、主催者などとあいさつしている時は

背筋も伸びて〈巨匠〉の趣だが、

数分であっという間に自分の弟子たちの方に戻って来て

内輪受けのジョークなど言ってお酒を飲んでいる。

そして、一番最後まで帰れないタイプだ。

 

よこたみのる絵_0010.jpg

 

また、ケーテンでの第一回ガンバコンクールの時のことである。

主賓の審査員として招かれていた彼は、

チェンバロの伴奏でソロのコンサートもする予定であった。

しかし、なぜかチェンバロを運べない、ということで

わたしに、デュエットのコンサートをするからおいでよ、

とお呼びがかかった。

コンクールも聞けるしラッキー、などと思ったわたしは

自分では受ける度胸はなかったが、

巨匠と一緒に弾くなら気楽だと、遠路はるばる出かけて行った。

 

コンサートもコンクールも終わった時に、巨匠が胸の内を語ったところ、

「こんなガンバ奏者ばかりのところで、

無伴奏を弾くことを想像してごらんよ、くわばらくわばら」

 

いざ弾けば素晴らしい演奏をするのに、

意外なことであった。

 

そんなシャイな彼は、人知れず生徒を大事にしていた。

ある生徒は、最終試験間際にお父さんが亡くなり、

卒業までいられないかもしれないという状況にあった。

金銭的にも精神的にも、それどころではなかった。

そんな中、ヴィーラントはその生徒に、

試験は受けなくてもいいから、一緒にガンバを弾きにおいで

とわざわざ電話をかけてくれ、

家に招いてくれたのだ。

それでヴィーラントの家に行ってガンバを弾いているうちに

試験を受けてガンバを続ける勇気が出て来たそうだ。

 

そんな逸話をたくさん持っている

シャイで優しいヴィーラントの声を聞いていると、

わたしなどは肩こりも治るほどである。

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    わたしは、レッスンを受ける時、

    皿洗いのスポンジのようであった。

    水を全部吸収するように、師ヴィーラントの言うことを吸収したかった。

    または、まっさらなキャンバスであった。

    真っ白なキャンバスに、これから色をのせて行くんだ、と。

    日本人またはアジア人的な学びの姿勢であったと思う。

     

    その日は、両親がユダヤ系ハンガリー人で、

    フランス育ちのジェローム君が、

    そのとき住んでいたローマから久し振りにレッスンにやって来た。

    ジェロームが弾く。

    ヴィーラントがお手本を見せようと、弾きだす。

    ジェロームは聞かずに弾き続ける。

    ヴィーラントも弾き続ける。

    とうとう曲の最後まで二人で一緒に弾き続けた。

    わたしは、あきれた。

    どっちか、弾くのを止めるでしょ?普通、と。

     

    その後、ふたりは大人同士のような会話をしてレッスンを終わった。

    わざわざローマから何をしにきたんだ?と思った。

     

    このように、すでにキャンバスにデコデコに絵を描いて

    レッスンに来る生徒はたくさんいるが、

    これはすごいなと思った。

     

     

    この数年後に

    この二人とジェロームの弟でチェンバロ奏者のピエールくんと

    4人で東欧のツアーに行った。

    ちょうどボスニア戦争の終わった頃だったか、

    まだ東欧は貧しい国が多く、

    国境は移動する人たちの列が延々と続いていた。

    そこに混じって移動するわたしたちの車の座席にもクッションがなかった。

    鉄丸出しと言うのか。

     

    さて、ヨーロッパでは、男女の控え室が一緒である。

    わたしは紅一点だったし、先生も一緒だったので、

    大抵トイレに行って着替えていた。

    しかし、ルビアナだったかザグレブだったかのラジオ局で、

    トイレに行ってみると、トイレの便器から噴水のように

    水が2メートルぐらい吹き出ていて、

    とても着替えるどころではない。

    仕方なく、控え室に戻って来て、

    ニッポン女子のワタクシが編み出した、

    下着を見せずに着替える方法で必死に着替えていたら、

    親切なジェロームがわたしの周りをブンブンと回って、

    手伝おうか?と何度も聞いてくれる。

    しかし、<脱ぎながら同時に着る>に健闘中のわたしは、

    ふがふが、と答えていた。

    その時、ヴィーラントが、

    「手伝うっていうのを一番やって欲しくないんだと思うよ」

    と言って下さり、

    やっと静かに着替え終えることができた。

     

    このように外国で鍛えられる中、

    ヴィーラントはしばしば、日本的な振る舞いの人であった。

    時々、フラマン人の女の子といると、

    やまとなでしこって、こういう感じだろうなと思う。

    しかし「日本人とフラマン人て、何か奥ゆかしい共通点があるのかな」

    と言うと、

    わたしの父はオランダ人である、などとへそ曲がりなことを言うのが、

    ヴィーラントであった。

    (お母さんがフラマン人)

     

    そのツアーからの帰りに、スイスの航空会社のセスナ機に乗った。

    アルプスの山合いをすれすれに飛ぶ航路で、

    眺めが素晴らしかったし、乗客が私達4人だけであった。

    その時の食事に出て来たナイフをこっそりもらったら、

    ヴィーラントが自分の分も持たせてくれた。

    さすがスイス、持ち手のところが本物の銀であった。

     

    写真は一枚も撮らないツアーだったが、

    今もその銀のナイフを毎日朝食の時に使っているので、

    こんなエピソードを覚えているのである。

     

     

     

     

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      ブリュッセルの音楽院は、

      日本の音楽大学を卒業して来ると、

      レッスンしか受講科目がなかった。

      今では、音楽史や図書館での調べ方など、

      いろいろな分野の勉強ができるが、

      わたしが留学したころはそういう授業が全くなかった。

      コンサートで忙しいヴィーラントのレッスンなど、

      時には一月に一度しかないこともあるのだから、

      わたしは暇だった。

       

      勢い、レッスンの日は一日中教室に張り付いていたし、

      ヴィーラントがデン・ハーグに教えに行く日は、

      一緒に車に乗せてもらって行き、これまた一日中張り付いていた。

      ベルギーから近いコンサートにも全部一緒に連れて行ってもらった。

      何しろ他に行くところも思いつかなかった。

       

      そのころの学生は、都合がつかなくてレッスンに来れないとき、

      連絡を入れるということはしなかった。

      それで、わたしとヴィーラントは、

      しばらくぼーっと来ない生徒を待った後、

      カフェに出かけるのが常であった。

       

      わたし自身のレッスンは朝一番である。

      なぜかと言うと、お昼近くになるとヴィーラントはお腹がすいて来て、

      そわそわするのである。

      ランチの後は、お腹いっぱいで眠くなるのである。

      そして夕方は、一日中教えたので疲れているのである。

      朝一番に学校に行くと、ヴィーラントのセーターの匂いで

      既に到着しているかどうかわかった。

      一年中同じセーターなので、大好物のフリッツ(ポテトフライ)の匂いが

      染み付いていたからだ。

       

       

       

      ある日、その日も来ない生徒がいたので、

      他にも生徒の来ないアンサンブルの先生も一緒に

      いそいそとカフェに行った。

      カフェに行くと、その二人はよくコースターで遊ぶ。

      指の爪の側の方で飛ばして、空中でつかむ、という動作を繰り返し、

      だんだん枚数を増やして行くのだ。

       

      うまくいくと、ヒヒヒと、もろオッサン笑いをして、

      延々とつまみなしで午後のビールを飲んでいた。

       

      わたしが、つまらなそうな顔で見ていたら、

      ヴィーラント先生はおっしゃった。

      「音楽とは、子どもの遊びのようなものである」

       

      わたしは半ばあきれて、

      「へいへい、しかとメモしておきますよ」と言った。

      そしたら彼も、嫌みっぽく

      「かおりはいつか僕のことを本にでも書くんでしょ?」

      と言ったが、わたしはそんな訳ないでしょ、と思った。

       

      今、ブログに彼のことをいろいろ書く気になって、

      ちょっとだけ当たってたな、と思う。

      それと、音楽とは、子どもの遊び心が大事だというのは、

      ほんとに本当だなと思う。

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        「その5」を書いてから随分間があいてしまいました。

        あけましておめでとうございます。

         

        つづき

         

        わたしは、留学したとき日本大使館の一等書記官のお宅に

        住み込みのベビーシッターとして来た。

        留学費用がなかったからである。

        ブリュッセルの学校に入れなかったら

        そこのお宅にもご迷惑である。

        一等書記官であるそのお宅のお父さんは、

        わたしの話しを聞くと、早速コンセルヴァトワールへの手紙を書き、

        日本大使のサインをもらって来て下さった!

         

        それが功を奏したのかは知らない、

        とヴィーラント先生はおっしゃっていたが、

        とにかく無事に入学でき、ブリュッセルでの生活が始まった。

        始まった途端に、公共の全ての仕事がストライキになり、

        バス、電車、ゴミ回収などがストップして大変なことになったが、

        なかでも郵便がストップしたので、わたしが無事にベルギーに着いて

        入学試験も通りましたという手紙が、親にも先生にも届かなかった。

        同じに出しても何通かなぜか届いた手紙もあり、

        親は怒り心頭に達していた。

        電話代が恐ろしく高い時代であったので、

        お互いに電話で確かめるということもしない親子であった。

         

        一ヶ月という長いストライキを乗り越えて、

        つまり道はゴミだらけ、どこに行くにも歩きという悲惨な状況を

        一ヶ月も耐えたあと、ようやくこちらにも郵便が届いたと思ったら、

        親からの怒りと悲しみの手紙である。

        ちなみにその郵便状況は、今でもあまりスムーズとは言いがたい。

         

        さて、入学した時に、ガンバのクラスに既に上野学園の先輩がいた。

        その先輩は、ちょうどガンバを続けるかどうか迷いの時期にあった。

        それで、レッスンにも出てこなかった。

        わたしとヴィーラントはその先輩を誘うために、

        コンソートの曲を用意した。一緒に楽しもうよ、と。

        そこで、ヴィーラントと一緒に弾くことが始まり、

        面白かったので、その先輩が待っても来ない時にはデュエットを弾いた。

         

        自分のレッスン以外に、そんな贅沢にゆるゆると遊ぶ時間を共有していたら、

        その年に限って、ガンバのクラスが学校の企画のオペラの前座に

        参加することになった。

        ほとんどのガンバの生徒はドイツやフランスから通っていたので、

        ベルギーに住んでいるわたしと、その先輩が(無理矢理)

        ヴィーラントと出演することになった。

        ヴィーラントとの練習の時間はすこぶる楽しかった。

        わたしが最初の一音を出すのに緊張してぷるぷるしていると、

        全部の音をぷるぷる弾いて遊んだりした。

         

        まだあまりフランス語もできないわたしだったが、

        こんな風に一緒に弾いて、ガンバや人としての生き方の多くを

        体得させて頂いたと思う。

         

        そして楽しく一緒に弾いていたある日、

        ヴィーラントに、自分のソロのCDの通奏低音を弾いてね、と頼まれた。

        いつも弾いているシギスヴァルトが忙しくてできそうもないから、と。

        なんとなく、日々の延長というかんじで、

        のんきに引き受けた。

         

        なぜヴィーラントのような巨匠とわたしが共演するのかを

        疑問に思う人がたくさんいたが、

        今更だが、このようなきっかけからであった。

        色気にあまり興味のないわたしのことを知らない人は、

        わたしがヴィーラントと付き合っている、と思っていたらしいが、

        お父さん的な存在であったと思う。

         

        ちょっと不思議なことでもあるが、

        留学前、お茶の水の駅のホームでぼんやり電車を待っていた時、

        頭に、漫画の吹き出しのように、

        まだ見ぬヴィーラントと舞台で共演しているワンシーンが

        ポっと浮かんだ。

        その時は「なんじゃこりゃ、ありえなーい」

        とその絵を打ち消したが、あとから一緒に弾くようになった時、

        あ、これだ、と思った。

         

         

        次回からは、ヴィーラントのエピソードをいくつか書こうと思います。

         

         

         

         

         

         

         

         

         

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          さて、ブリュッセル王立音楽院の入学試験である。

           

          地図を見ながら学校にたどり着き、門のところまで行ったら、

          親切な人がドアを開けてくれた。

          ずっとあとで、同じく入学試験を受けに来た

          ジェローム・アンタイ(Jérôme Hantaï)くんだと知る。

           

          ともあれ控え室らしきところに案内され、呆然と立っていたら、

          にこにこした人が近づいて来て、

          「カオリ・ウエムラ?」と言った。

          わたしは、この人は一体誰か?と思った。

          なにせ、インターネットのない時代である。

          ヴィーラントの顔は、その時から20年ほど前に出たLPの写真で唯一見た

          黒い髭もじゃの人だったが、

          この人はこざっぱりしていて、ヒゲも黒くないし短い。

           

          校長先生とか、事務の人かもしれない、と思った。

          なぜ名乗ってくれないんだろう、

          もしかしてヴィーラントなのかな?と思い悩みつつ、

          試験を受けた。

          終了後、そのこざっぱりした人が近づいて来て、

          試験は合格だが、今年から外人枠がせまくなっていて、

          入学できるかどうか分からない、と言った。

           

          その人の目の色がすごく青くて、どこに焦点を合わせてしゃべっているのか

          把握できない。

          それで、わたしの後ろには誰もいないというのに、

          何度も後ろを振り向いて、話し相手が自分であることを確認した。

           

          最後にブリュッセルに入れなかったら、

          かおりのためにデン・ハーグの学校に場所をとっておいてあげる、

          と言ってくださり、やっと、ああこの人はやっぱりヴィーラントだと

          納得した次第である。

           

          そのときわたしは、たどたどしいフランス語で、

          「わたしはフランス語で勉強したいので、オランダに行く気はありません」

          と言ってしまったのである。

           

          夕日を背にした青い目の(ほんとは緑っぽい)巨匠が、

          二の句が継げない、という顔になっているのを見た。

           

          つづく。。。

           

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