チョコとビールのおいしいベルギーに住んでウン十年。
ガンバをかついで旅することの多い日々。
I'm sorry, it's only in japanese...

巨匠レオンハルトは、一生のうちに一度しかマタイ受難曲は振らない、

と決めていらっしゃったが、

その一回の後数年して、

オランダバッハ協会のために再度指揮して下さった。

その記念すべき演奏会を聞きに行くべく、

わたしはブリュッセルからオランダのハーレムという街に急いだ。

 

ついでにと言っては何だが、

夫(寺神戸亮)がコンサートマスターをするので、

晩ご飯を待ち合わせて食べようと。

わたしたちは、リハーサルが終わると、

インド料理屋に行った。

オケの他のメンバーたちは、オランダ人らしく皆お弁当持参である。

それで、外に食べに行ったのは、わたしたちだけであった。

 

さあ、食べ終わって本番まであと30分という

ちょうどいい時間に店を出ると、コンサート会場である教会に戻った。

すると、ドアが全部閉まっており、中から音が聞こえて来るではないか。

関係者が、もう始まっているので入れない、と言う。

ええ!ぼくは、弾くはずなんです、と夫はうろたえるし、

わたしもなんで始まってしまったのか、わけがわからない。

なんと、のんきなオットは、開始時間を1時間間違っていたのだ。

どうりで休憩時間が短くて、みんなお弁当だったのだ。

 

裏の入り口からようやく入れてもらった夫は、

前半が終わるまで控え室でじーっと待つ羽目になった。

まあ、自業自得である。

 

コンサートマスターが戻ってこないので、

オケのメンバーたちが泡食ったのは想像に難くない。

だれが後半のソロのアリアを弾くのか!

というのが一番のポイントだったそうだ。

結局、一番若いヴァイオリニストがやってもいい、と言って、

みんな胸を撫で下ろした。

しかし前半終わって控え室に戻ったら夫が待っていたので、

やれやれとその経緯をお互いに話したと言う訳だ。

 

後半自分の席に座っている夫を見つけたレオンハルトは、

にっこり微笑んで、何事もなかったかのように後半が始まった。

わたしともう一人、日本からわざわざそのコンサートを聞きにいらした方は、

前半を聞き逃した。

コンサートが終わって、夫が別の控え室にいたレオンハルトのもとに

お詫びに伺うと、微笑んだまま静かに

「映画はおもしろかった?」

とおっしゃった。

 

いくらなんでも、夫もこのエピソードは忘れられないらしい。

わたしは、一応仲良しのミネケのガンバソロを聞いてあげられたので、

案外満足であった。

 

さて、前に書いた時には見つけられなかった写真が出て来たので、

ここに載せます。

 

レオンハルト宅でのクイケン・クインテットのリハーサル風景。

暗めの部屋で、よく楽譜が見えたことだ。

 

 

翌日の朝食風景。

 

 

玄関前で。

奥にいらっしゃるのは、ご夫妻のお友だち。

 

 

Vicenzaでリハーサル中。

 

 

庭で思索中の巨匠。

写真など撮っては申し訳ない、と気が引けて、遠目である。

 

 

 

 

 

 

 

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    さて、初めて狛江の大橋先生のお宅に伺ったのは、

    そんな訳(その1参照)で小学6年生の時だった。

    水戸から延々3時間の道程を経てたどり着くと、

    そこには田園風景が広がっており、水戸よりもずっとのんびりしていた。

    その景色の中をてくてく歩いて行くと、素敵な洋館が建っており、

    玄関のドアを開けて頂いたら、中は照明がヨーロッパ風に少し暗めであった。

    そのちょっと暗めなのに、まず驚き、

    次に大橋先生の髪の毛がちょっと長めで、

    くるくるとしているのに驚いた、と言うより、

    恐れをなした。

     

    緊張のうちにヴァイオリンをお聞かせしたりしたのち、

    帰り道の田園風景の中で、わたしは一緒に行った母に言った。

    あの先生、髪の毛がくるくるしていて、なんだか怖いなあ。

    母は、うーん、芸術家っていうのは、

    ああいうベートーヴェンみたいな人なんじゃないの?

    と答え、わたしは、もの凄く納得した。

    頭の中に、学校の音楽室のベートーヴェンの絵が浮かび、

    生まれたばかりのあひるが、最初に見た者を母親と思い込むのと同様で、

    この人はベートーヴェンのような芸術家なのだ、という思いは

    その後もずっとわたしの中から消えることはなかった。

     

     

    その後、大橋先生のお宅で何年もレッスンをして頂いたのに、

    こんなことを思い出しては申し訳ないかもしれないが、

    もう一つの強烈な思い出は、メロンである。

    当時メロンと言えば、普通の家庭でプリンスメロンが出ただけでも、

    クラスメートがわっと喜ぶ果物であったが、

    なんとマスクメロンが出てしまったのである。

    しかも、大きく切ったスイカのようなメロンにフォークとナイフ。

     

    このフォークとナイフを見つめることしばし、

    もう先生の声も聞こえません。

    頭の中で、これはどうやって食べるのか?がぐるぐるした。

    結構です、とお断りするにはあまりにもったいないが、

    スイカのようにかぶりつく訳にもいかない。

    右から左から観察熟考している時間がとても長く感じられ、

    いらないと思って下げられてしまったらどうする!

    ということまでも頭をよぎる。

    家で食事にもナイフとフォークなど使わない時代の子どもである。

     

    しかし人間、切羽詰まると知恵が湧くものである。

    どうにかこうにかナイフとフォークを使って食べた。

     

    レッスンのことなど、何も覚えていない、

    きれいにメロンを食べられた満足のためだけの、往復6時間であった。

     

    つづく。

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    面白いのかどうかわからないが、

    どうしてガンバを始めたんですか?とよく聞かれるので、

    ガンバを始めて止めなかったわけを書こうと思う。

     

    2才の時にヴァイオリンを習いたいと言って3才で習い始め、

    あまり練習もしない子どもだったが、小学6年生まで続けていた。

    水戸でその頃唯一だったと思われるヴァイオリンの北見先生は、

    生徒が小6になると、皆に東京の先生のところに行きなさい、と勧めていた。

     

    さて、わたしも小6になったある日、東京に行くのはどうか、

    という話になった。

    しかし、一体全体どこに行けばいいのか。

    音楽家には多分ならないだろうと思われる、練習もしない娘の先生を

    どなたを尋ねてわざわざ東京に行くのか、両親にはわかるはずもない。

    父は知り合いの大学の音楽の先生に、どうしたらいいですか、と聞いてみた。

    その歌の先生は、ガンバの先駆者である大橋敏成氏の芸大の後輩だった。

    それで、ヴィオラ・ダ・ガンバという楽器があって、

    その楽器は教会で演奏されることの多い楽器である、

    ヴァイオリンではなく、そっちの楽器をやってみてはどうか、

    と勧めてくれた。

    牧師であった父と、それ以上に熱い信仰を持っていた母に、

    この「教会音楽を弾く楽器」というセリフが

    神の啓示のようであったことは

    想像するまでもない。

    それと、希少価値、というのがポイントだったらしい。

    まだ、あまり弾く人のいない楽器。

    競争向きではない娘には、居場所が最初からある方がいい。

     

    実際、「やります」と言ったら、弾いてもいないのに、

    その日からその頃まだ日本で5人しかいないガンバ奏者のひとりです、と

    当時のガンバ協会の会長さんに言われた。

     

    よこたみのる絵_0012.jpg

     

    わたしはと言えば、音楽家になるとは思ってもいない12才。

    「足長おじさん」に傾倒していたので、孤児院の院長先生になりたい、

    などと考えていた。

    ヴァイオリンは練習もしないが、止めるということも思いつかないほど、

    ぼーっとしていた。

    2才で習いたいと言った割には、その後の意志はどこへ行ったか。

     

    ともあれ、まだクラスの同級生たちのほとんどが、

    利根川を越えて東京に行ったことがない時代だっただけに、

    ひとりで東京に行く!というのは魅力だった。

     

    そんな成り行きで勧められるままに大橋先生の家に通い始めた。

    大体、ガンバって何?

    広辞苑で調べたら、絵付きで出ていて、大きいなと思った。

    マレや何やら、それまで弾いていたベートーベンやチャイコフスキーとの

    時代の区別もなく、始まった。

     

    ヴァイオリンも、バロックヴァイオリンを続ければいい、と言われ、

    何だそれは、と思いつつ、

    シギスヴァルト・クイケンと勉強して帰って来たばかりの

    小野萬里さんのもとにも通うことに。

     

    ちなみにガンバを勧めてくれた音楽の先生は、池田明良という方で、

    そのずっと後に歌手の米良美一氏が学生だった頃、

    まだテナーだった彼に、カウンターテナーを歌ったらいいと

    助言した人物だ。

    後に米良君と、その素敵なご縁を語り合った。

     

    つづく。

     

     

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      あなたはアムステルダムのコンセルトヘボウの舞台の

      一番前に立ったことがありますか?

       

      わたしは

      舞台のいっちばん前で

      ガンバを弾いたことがある。

      あそこの舞台は高い。

      これが、清水の舞台から飛び降りるつもりってことか、

      と思った。

       

      20160227_1573698.jpg

       

      毎年コンセルトヘボウ・オーケストラによるマタイ受難曲は、

      指揮者が違うが、

      その年はマエストロ、イヴァン・フィッシャー氏だった。

      と言っても、豚に真珠のわたし(ぶたさん)は、

      どのくらい巨匠なのかよく知らなかったが。

       

      そのフィッシャー氏はわたしと初対面の挨拶で、

      「私もガンバを持っていますよ。オッセンブルンナー作です。

      最近は弾く時間がありませんが」

      とおっしゃって、わたしをうれしがらせて下さった。

      声も心地よい。

      しかし、その時の眼力のすごさ。

      でもその眼力には、なんとなく心を揺さぶられる

      大地、みたいなものが感じられ、ぶたさんのワタシにも分かる

      迫力だった。

       

      その年は、なんだかオケの後ろの方にわたしの席が設置され、

      ちょっと気楽だなあ、なんて思っていた。

      ところが、リハーサルが始まったら、

      フィッシャーさんは自分より前の

      ほとんど舞台から落っこちそうな位置に

      わたしのイスを持って行ってしまった。

      譜面台を置く場所もない。

      譜面いらないでしょ?と。

      ウイ、と言うしかない眼力。

       

      その清水の舞台のように高い場所に座って、譜面台もないと、

      わたしはどこを見たらいいんですか?と思う。

      ガンバ弾きはシャイなんだから。

      下を見るとわたしの足のもっと下にお客様の顔。

      下を見ても前を見ても恥ずかしい。

       

      それで、自分の左手をずっと見たまんま弾いた。

       

      リハーサルの時に、フィッシャーさんが、

      このコンサートを世界中の人に聴いてもらうんだから、

      世界中の一人一人の魂に響くように、心して演奏しましょう、

      と言っていて、素晴らしいコメントだと思ったが、

      思いがけない場所を設定されて頭が白くなっていたので、

      あまり聞こえていない頭で、

      それにしてもなぜ世界中?とぼんやり思った。

       

      そしたら、後から知ったが、ブルーレイか何かで録画したらしかった。

      それで、毎年テレビでも流れているらしい。

      いろいろな人に、

      あれ、かおりだよね?と言われるので、知ったのだ。

      みんな、多分かおりだろう、と思うのは、

      わたしが完璧に左手しか見ていないので、

      顔が正面を見なくて、本当のところはだれなのかな?と見えるらしい。

      親しい人には、わたしだから横向いちゃったんだね、とわかるらしい。

       

      眼力と高い舞台で、忘れられないマタイ受難曲になった。

       

       

       

       

       

       

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      英語の電話がかかって来ると、

      ほとんどが夫に用事だ。

      フランス語だとわたし。

       

      その日も女の人から英語の電話だったので、

      名前を聞くのも早々に、ちょっとお待ちを−と言って

      夫に受話器を渡した。

      あれ?マリーレオンハルトって聞こえたような?

       

      そうなんです、奥様のマリーさんからお電話。

      グスタフ(親しい人はウッティーと呼ぶ)のお誕生日に、

      モーツァルトのクインテットを家で聞きたいということで、

      クイケンカルテットに+1でお呼ばれの夫。

      その際、ご家族連れでどうぞとおっしゃるではないか。

      よかったらお泊まりください、と。

      えぇ!ほんと?

       

      今度は息子を妊娠中でのんびり家にいたわたしと娘、

      行きますよ、行きますよ、アムステルダムに。

      レッスンのときはレッスン室とトイレだけだったが、

      こんどはお泊まりだ。どんな家なのか!

       

      さあ、着いた途端に泊まる部屋に案内される。

      一番上のそのまた上。急な階段を上りつめた部屋。

      昔で言うと、女中部屋。物置き部屋の横だ。

      古い机や絵が雑然と置いてある大きな部屋の横の、小さな一部屋。

      しかし、ちゃんと私たち3人が泊まれるようにして下さってあった。

      白いシーツがピーンと。

       

      ちなみにヴィーラント・クイケンと

      ヴァイオリンのフランソワ・フェルナンデスは

      子ども部屋で二人いっしょだ。

      みんながリハーサルの間に、見に行ってみた。

      縦につながっていて、小さい。

      フランスのお城などもそうだが、昔のベッドは案外小さい。

      みんな今より背が低かったそうだ。

      ここはオランダだけど子ども部屋のベッドだからか、

      小さくて足が伸ばせない、と

      ふたりはちょっとだけぶつぶつ言っていた。

       

      シギスヴァルトとマルレーン夫妻の寝室はちょっと大きくて、

      ドアのすき間からしか見えなかったけど、

      大きなベッドの横に、お盆を両手に持っているような様子の、

      等身大の黒人で、古い時代のものらしきお人形が立っていた。

      どの部屋もバロック時代の色と布だ。

       

      階段の踊り場が案外広くて、

      ある階には、小振りだが縦長のパイプオルガンが置いてあった。

      別の階の踊り場は、奥様の着替え室なのか、カーテンで仕切ってあった。

       

      家をちょっとだけ探索させて頂いた後は、

      もうすぐ6才になる娘を連れてアンネ・フランクの家に行った。

      なぜかというと、そこのすぐ裏の方にあったからだ。

      ところが私もその時に知ったのだが、

      娘は戦争関係の悲惨な空気に超敏感だった。

      順番が来てようやく入場料を払って、さあ、と娘の方を振り向いたら、

      何かを感じてもう泣くわ泣くわ。

      だが後戻りできない仕組みになっているので、

      仕方なく娘の目を覆って、出口まで家中を駆け抜けた。

       

      疲労困憊してレオンハルト宅に戻ると、ご夫妻が優しく、

      どうしたの?と聞いて下さり、

      訳を話すと、マリーは、そうよ、子どもには辛すぎたわね、

      とおっしゃってくださり、

      その横でグスタフがうんうんと優しい顔でうなずいて下さった。

       

      レオンハルト氏は、とてもシャイらしい。

      自分で催して、自分の友人ばかりが聞きに来たそのコンサートで、

      サロンのど真ん中に主役としての自分の席が用意されていたが、

      ずっとドアの外で聞いていらっしゃった。

      真ん中に座るのが、どうも照れくさかったのだろう。

      わかるけど。わたしも照れくさいと思う。

      でも、そこだけ空いている席を見ていて、

      コンサートの間中、いつお座りになるのかが気になった。

       

      薄明るい夏の夜のコンサートが終わり、

      地下と言っても庭とつながっているお部屋で

      お食事が出た。

      廊下も、どの部屋も、もう暗い時間。

      ところが、さすがバロック音楽を極めた巨匠らしく、

      どの部屋もろうそくの明かりだけだ。

       

      日本人の私の目だと、見えない。

      何を食べているのか、見えない。

      人の顔も近づかないと、なかなか判別できない。

       

      そのバロックの貴族の部屋のような空間から、

      一番上の小さくて急な階段を上った自分たちの部屋に着いたら、

      電気も付いて、なんだかほっとした。

       

       

      次の日の朝は、パーティーのあった部屋で朝食を頂いた。

      骨董の食器らしかったし、背をぴーんと伸ばして

      お紅茶を頂いた。

      (サロンには何代目だったか、柿右衛門の骨董もあった)

       

      ざっくばらんなシギシヴァルトとマルレーンが

      いっぱいしゃべってくれたので、

      それでも多少くつろいで、みなさまのお話を聞き、

      貴重なレオンハルトご夫妻のお顔を、見ていた。

       

       

      最後は、家の前でみんなで記念撮影をさせて頂いた。

       

      家宝にとってある。きっとどこかにある。

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

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