チョコとビールのおいしいベルギーに住んでウン十年。
ヴィオールをかついで旅することの多い日々。
I'm sorry, it's only in japanese...

舞台っていいな。

 

日本にいる時は学生だったし、お芝居を観に行く楽しみを知る前に

ヨーロッパに来てしまった。

その後は仕事や子育てで、外出なんて考えられなかったが、

最近はミュージカル好きの子どもたちのおかげで、

色々な舞台を一緒に楽しめるようになった。

 

ブリュッセルの中央にある公園に、18世紀に建てられたテアトルがある。

そこで、今回はミュージカルを観た。

パリ・カンカン。

年増のスターが、若い新入りに凹んだり、

奮起したりする。

そしてどんなに盛り上がったチームにも、プロジェクトにも、

終わりが来る。

人生は、どんどん変わっていく。

そのことをしみじみと感じるカンカンだった。

 

おばちゃんの、以前ほど足が上がらなくなった踊りでも、

高い声が出なくなった歌でも、

今までの経験が滲み出る、熟し切ったパフォーマンス。

 

若い子の、キレのいい踊り、澄んだ歌声、

恥じらいのある、蒼茎のようなパフォーマンス。

 

その蒼茎に弾き飛ばされていく

落ちてしまいそうな熟した果実。

 

尊敬と対峙と悲哀。

 

ともかく、経験が蓄積した演技っていいもんだなあと、

とっても勇気をもらった、そんな舞台だった。

 

 

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    行って来ました、黄色いお家。

    ブリュッセルからちょっと高速に乗って15分位の

    テルナット、という村(町?)にあります。

     

    ヴィーラントは、高僧のような方なので、

    禅問答のような感じで質問を用意したけど、

    どうだったんだろう。

    一緒に行ったトマスの質問は良かったけど、

    途中で、これ、見てる人にとって面白いんかい?

    と自分に突っ込みを入れてましたが。。。

     

    それより、すごいなあ!と思ったのは

    質問と答えではなくて、

    帰りに運転している時に、

    横隔膜が揺れて来て、

    なぜか、ぶははははと笑いたくなった、

    ということです。

     

    これって、究極の癒しの在り方じゃない?と思いました。

    いつもの会話、みたいなおしゃべりして、

    あとからこんなに笑いたくなるほど楽しかったなんて、

    やっぱりすごい人なんだ、と改めて尊敬の念が。。。

    それとも、わたしが遊んだだけだったのか?

     

    とにかく、一緒にいるだけで幸せになる感を、

    見ている人にもシェアできたら嬉しいなと思います。

    編集と字幕(日本語と英語)ができたらYoutubeで出しますので、

    待っていて下さい。

     

    まあ、ヴィーラントは全然メディアに出ないし、

    コメントがあまり世に出ていないので、

    よかったのかな、と。

     

    それと、他の人にもインタビューしたくなっちゃいました。

    夫(寺神戸亮)も一緒に、シギスヴァルトにインタビューとか、

    面白そうだな、と。

    あと、ガンバ製作家のボダールさんとか。。。

     

     

     

     

     

     

     

     

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      師匠であるヴィーラントにインタビューしようと思いついた。

      奥様のセシルのお葬式に行った際、

      師の後ろ姿が

      まるで何処かのお寺の高僧のようだった。

      後ろ姿で私を感動させるとは、やはりただ者ではない!と思った。

       

      ヴィーラントとの会話では、いつも

      禅問答とはこういう会話なのかな?

      と思わせられる、短くも的を得たお返事が返って来ていた。

      的を得ているだろうが、謎の答えもあった。

      大部分はわたしの骨肉になったせい?か、忘れてしまったので、

      残念である。

       

      最近はヴィーラントを知らないガンバ奏者も多くなって来た。

      しかし彼を知る人はみな、大きな寛容に包まれる経験を通して、

      彼を尊敬している。

      そこで、インタビューして何か残したいな、

      と思った次第である。

       

      仲良しのベルギー人ガンバ奏者、Thomas Baete

      と一緒にやることになり、質問をまとめ中である。

      ちなみにこのトマスも、お葬式でヴィーラントの後ろ姿が

      御神木のようだ、と思ったそうである。

       

      最初は禅問答のような質問で始めようと思う。

       

      このインタビューを思いついてから、

      ヴィーラントが夢に出て来て、

      知ったこっちゃないよ、と言われて大ショックで目が覚めた。

       

      ショックだったが

      なんとなく自分の中で、何かが落ちた気がしたので、

      むくっと立ち直り、

      禅問答に思いを巡らせている。

       

       

       

       

       

       

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        わたしが初めてレ・ザール・フロリッサンに参加した頃、

        パート譜は全て手書きだった。

        スコアを図書館からコピーして、

        それをパート譜にする手作業。

        わたしが目にしたシャルパンティエの楽譜は、

        とてもきれいに写譜されていた。

        一緒に弾いていたガンバ仲間が、

        これはドミニクの筆跡だよ、と教えてくれたが、

        誰のことだかピンと来なかった。

        少し後に歌手たちが到着、

        あれが写譜した人、と教えてもらってあいさつした人は、

        このきれいな楽譜を書いたとは思えない風貌で、

        ロックっぽいかっこよさに驚いたものだ。

         

        今でもシャルパンティエの様々な曲と一緒に、

        あの手書きの楽譜がセットで思い浮かぶ。

         

        彼の声楽アンサンブルとわたしのガンバコンソートで

        何度かコンサートをした。

        ドミニクはえんぴつでほいほいっと指揮をした。

        オルガンやチェンバロの調律も彼がやった。

        でも、あまりおしゃべりをしたことはなかった。

         

        わたしがトウキョウ・バロック・トリオ

        (クリストフ・ルセ&寺神戸亮)と

        フランスツアーをした時に、

        当時スターだったアニエス・メロン歌姫を招いた。

        その時、彼女の家でリハーサルをしたのだが、

        台所からいい匂いがしていた。

        そのキッチンで腕をふるっていたのが

        夫であったドミニクだった。

        お腹がすくとたちまち火が消えたようになる私は、

        ぼけーっと座っていたと思う。

        その時に、後ろに気配も感じなかったのに

        自分がドキドキしたので、なんじゃろう?

        と思ったら、ドミニクが後ろにいた。

        なんだか、普段忘れているわたしの女子力が

        上がりそうな存在であった。

         

        それから、別の日に駅で待ち合わせて

        みんなで電車に乗る時に、ドミニクがアニエスを送りに来た。

        わたしは楽器を持って歩く時、

        脇目も振らずにズンズン歩く。

        これは、一刻も早く目的地に着いて、楽器を降ろすためである。

        特に当時の楽器ケースは今の倍以上の重量であった。

        重いんです。

        その時もズンズンと歩いていたら、

        すっと横に人が来て、「持ってあげるよ」

        と言うのでその人に気がついたら、

        ドミニクがすっと私の楽器を持って

        電車の中まで持って行ってくれたのだ。

        この時の感動は、この人って、紳士で素敵!

        という強ーい印象と共に今も鮮明に思い出す。

        その後、こんなに自然に軽く優しく

        楽器を持ってくれた人はいません。

        こりゃ女性にもてるでしょう、としみじみ思いました。

         

         

        ちなみにわたしの夫は、むかーしガンバを持ってもらった時に、

        肩に赤い点々ができて、バイオリン以上に重い物は持てません、

        という体質のようであるので、

        その後私はブンブンと風を切りながら

        楽器とスーツケースを運んで旅しているのである。

         

         

         

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          さて、ゲーベル氏はいみじくも

          書いておられた。

          「このスルタンの出だしに、短六度があるので、

          これは誰かへの哀悼曲(トンボー)である」

           

          わたしはこの部分に疑問を持ち、

          思い切って聞いてみた。

          「なぜ短六度だとトンボーなんですか?」

          すると、彼はテーブルに肘をつき上の方から私に流し目で、

          こうおっしゃった。

          「短六度だとトンボーって、ヨーロッパではみんな知ってるんだよ」と。

           

          青天の霹靂、

          ヨーロッパに行くと、空気中に数字が飛んでいるような

          錯覚に陥り、

          どこかで短六度が聞こえると、

          あ、誰かが死んだな、と街中の人が思うのか!

          と感動した。

          ヨーロッパってすごいなあ、みんなそんな事知ってるんだ!

           

          東京に出て来る前の田舎の人が、

          銀座に行くと映画俳優ばっかり歩いている

          と思い込んでいた、というような話も聞く時代の、

          ヨーロッパへの憧れである。

           

          その答えだけで頭が妄想でパンパンになった

          賢いはずの女子「アタシ」は大いに満足し、

          留学への夢を膨らませていった。

           

          そして、実際にベルギーに到着した私の目に映った

          ベルギーの青い空に

          数字が飛び交うのが見えるような気がし、

          私にもいずれ意味がわかるのだな!

          と意気揚々と思ったのである。

           

           

           

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