チョコとビールのおいしいベルギーに住んでウン十年。
ヴィオールをかついで旅することの多い日々。
I'm sorry, it's only in japanese...

舞台っていいな。

 

日本にいる時は学生だったし、お芝居を観に行く楽しみを知る前に

ヨーロッパに来てしまった。

その後は仕事や子育てで、外出なんて考えられなかったが、

最近はミュージカル好きの子どもたちのおかげで、

色々な舞台を一緒に楽しめるようになった。

 

ブリュッセルの中央にある公園に、18世紀に建てられたテアトルがある。

そこで、今回はミュージカルを観た。

パリ・カンカン。

年増のスターが、若い新入りに凹んだり、

奮起したりする。

そしてどんなに盛り上がったチームにも、プロジェクトにも、

終わりが来る。

人生は、どんどん変わっていく。

そのことをしみじみと感じるカンカンだった。

 

おばちゃんの、以前ほど足が上がらなくなった踊りでも、

高い声が出なくなった歌でも、

今までの経験が滲み出る、熟し切ったパフォーマンス。

 

若い子の、キレのいい踊り、澄んだ歌声、

恥じらいのある、蒼茎のようなパフォーマンス。

 

その蒼茎に弾き飛ばされていく

落ちてしまいそうな熟した果実。

 

尊敬と対峙と悲哀。

 

ともかく、経験が蓄積した演技っていいもんだなあと、

とっても勇気をもらった、そんな舞台だった。

 

 

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    ある朝起きた時に、

    マットのへこみが目に入った。

    私の寝た後がぎゅっと沈んでいる。

    ふと横を見て、あれ?と思った。

    そんなにへこんでいないのである。

    夫との体重差10キロ以上。

    ここで、わたしは思い出したのである。

    夫が初心者で、わたしが数回経験者だった時の

    ある冬のスキーである。

     

    広くて静か、

    夏にコンサートで行って美しかったと言う理由で

    オーストリアのインスブルックに行った時のことだ。

    初心者の夫は、借り物のスキーウエアを着て、

    ドイツ語のコーチの説明がさっぱりわからず、

    ひとりだけ曲がらずに、まっすぐどぶに落ちたりして、

    思いっきり笑わせてくれていた。

    上りのロープウエイから降りる時に曲がらなかったので、

    前の壁に漫画のように激突したこともあった。

     

    わたしは、中高時代に運動が得意だったという

    過去の栄光から、

    (なにせ、音大か体育大か迷ったほど!)

    怖々ながらも意気揚々とすべっていた。

    ちなみに夫はいかにもヴァイオリンを弾いていた男子らしく、

    運動は苦手だったそうだ。

     

    しかし、英語の話せるコーチがついてくれて、

    一通りまっすぐと曲がるのをマスターした夫は、

    わりかしすいすいと滑れるようになって行った。

    わたしは、力(りき)が入るタイプなので、

    力ずくで雪を削りながら滑っていたと思う。

    (特に鍛えていなくても、ふくらはぎは子持ちししゃもである)

    転んで立ち上がる時に、スティックの先っぽの丸が

    雪の中に埋まって、なくなってしまったりした。

    大福のようにふくよかで、ふわふわと滑る夫、

    対して骨太でぐぐっと力を入れて滑るタイプの自分を、

    そのへこんだマットを見て思い出した次第である。

     

    また、ある夏にカヌー初体験した時のことである。

    一人ずつのカヌーに乗り、下りの川に出発しようとするも、

    わたしはぐるぐると回って

    船着き場から出ることができないでいた。

    小さい時から何もしていなくとも

    ポパイのような力こぶのできる腕前の私は、

    力一杯漕ぐも、ぐるぐる回り続け、

    どうしても出発できないでいた。

    そこに、先発の夫が川を逆行しながら、

    「どーしたのー?」と

    鼻歌まじりに戻って来、

    わたしのカヌーを引っ張ってくれた。

    その時にも、スキーのことを思い出したのだった。

     

    わたしは力ずくで寝ているのだろうか、

    と思ったら笑えて来た。

    夫は体重は重いが、気は軽く寝ているらしい。

    どおりで寝言で笑っているはずである。

     

     

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      ニューヨークに行ったときのことである。

      コンサートの合間に、私は仲間と一緒に

      ニューヨーク在住の友人を介して

      オリジナルのヴィオールを何台も所有している、

      というお金持ちのマダム宅に伺った。

       

      メトロポリタン美術館から歩いて数分!

      手入れの行き届いた小さい庭が連なる、

      趣味のいい通りを行くと、

      小さめだがきれいな家があった。

      大金持ちと聞いていたが、こじんまりしてるな、

      と思いながらチャイムを鳴らすと、

      マダムという語感よりずっとお若い女性が現れた。

       

      美しい人だなーと思いつつ玄関でコートを脱ぐとき、

      まずその踊り場の空間に驚いた。

      少ない調度品、階段の手すり、床、

      全てが品の良さと高級さを醸し出していたのだ。

      自ずと背筋が伸び、畏れつつリビングに案内された。

      細長い部屋に、既に楽器が用意されていた。

       

      数少ない本物の17世紀のヴィオールを

      あれこれ弾かせて頂いた。

      それと同時に私の楽器をお見せし、

      わたしがその当時買いたいと思っていた

      オリジナルのヴィオールの話をした。

       

      彼女は、その楽器を知っていて、

      わたしがそのヴィオールに恋しているなら

      その値段で買うのもいいけれど、

      恋をしていないなら、高すぎる、と言った。

       

      わたしはずっとどうしても

      オリジナルの楽器が欲しかったので、

      そのヴィオールに惚れ込んだ、というよりは、

      なんでもいいから「修理済み」のオリジナルが欲しい、

      と思っていた。

       

      それで数年いろいろ探しており、

      その時売りに出ていたヴィオールを買うために、

      自分の楽器を全部売ろうと思っていたのだった。

       

      ニューヨークでも数人のヴィオール奏者が

      私の楽器を見に来る予定だった。

       

      ところが、すべてのランデブーがキャンセルになり、

      予定していなかったこのご婦人に会うことになったのだった。

       

      一通り古い楽器を弾いて、

      身体を溶かしてしまうかのような極上の音に

      わたしたちは、内側からぽかぽか暖まっていた。

      本当に、古くて手入れの行き届いた楽器には

      特別な音が宿っている。

       

      ご婦人はわたしたちを上の階に連れて行ってくれて、

      使い勝手の良さそうな台所で気楽に話をした。

       

      その台所の横に小さな居間があり、

      大きな絵がかかっていた。

      ご婦人は、これは

      アルテミジア・ロミ・ジェンティレスキ(1593年〜1653年)

      というイタリアの女性画家の自画像よ、と言った。

      女性として初めての職業画家だと教えてくれた。

      子どもも数人いたが、当時としては画期的に、

      夫が協力して育ててくれたそうだ。

      「素晴らしい女性だったアルテミジアを尊敬しているので、

      この自画像の絵を買ったのよ」

       

      わたしは、そのお金の使い方に感動した。

      本当のお金持ちって、使い方を知っている人なんだな、

      と思った。

      そして、自分の楽器を売って

      別の楽器を買おうとしているわたしが出会った人が、

      ヴィオールを愛し、よく相場を知った上で

      高すぎるし、恋をしていないなら

      その値段で買うべきではないと言ってくれたことは、

      わたしにとっては天の声であった。

      なにしろ、オリジナルの弦楽器というのは高いが、

      安い、と言われているヴィオールですら

      一千万円はするのであるから、簡単には買えないのである。

       

      ちなみに、別のアメリカのお金持ちに、

      この楽器を買ってわたしに貸す、ということは

      できないでしょうか?と尋ねたとき、

      美術品、または骨董品として購入するには

      「安すぎる」

      というコメントを頂いた。

      わたしは心の中で「サザエさん」のように驚き、

      こけた。

       

      と言う訳で、わたしは学生のときから使っている楽器を

      今も大事に弾いている。

      手放すな、と言われた気がしたからだ。

       

      そのご婦人が、ある時FBに投稿していた記事が、

      また素晴らしくて、

      「人のハッピネスとは、

      日々の小さなハッピネスの足し算にある」と。

       

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