あなたはアムステルダムのコンセルトヘボウの舞台の
一番前に立ったことがありますか?
わたしは
舞台のいっちばん前で
ガンバを弾いたことがある。
あそこの舞台は高い。
これが、清水の舞台から飛び降りるつもりってことか、
と思った。
毎年コンセルトヘボウ・オーケストラによるマタイ受難曲は、
指揮者が違うが、
その年はマエストロ、イヴァン・フィッシャー氏だった。
と言っても、豚に真珠のわたし(ぶたさん)は、
どのくらい巨匠なのかよく知らなかったが。
そのフィッシャー氏はわたしと初対面の挨拶で、
「私もガンバを持っていますよ。オッセンブルンナー作です。
最近は弾く時間がありませんが」
とおっしゃって、わたしをうれしがらせて下さった。
声も心地よい。
しかし、その時の眼力のすごさ。
でもその眼力には、なんとなく心を揺さぶられる
大地、みたいなものが感じられ、ぶたさんのワタシにも分かる
迫力だった。
その年は、なんだかオケの後ろの方にわたしの席が設置され、
ちょっと気楽だなあ、なんて思っていた。
ところが、リハーサルが始まったら、
フィッシャーさんは自分より前の
ほとんど舞台から落っこちそうな位置に
わたしのイスを持って行ってしまった。
譜面台を置く場所もない。
譜面いらないでしょ?と。
ウイ、と言うしかない眼力。
その清水の舞台のように高い場所に座って、譜面台もないと、
わたしはどこを見たらいいんですか?と思う。
ガンバ弾きはシャイなんだから。
下を見るとわたしの足のもっと下にお客様の顔。
下を見ても前を見ても恥ずかしい。
それで、自分の左手をずっと見たまんま弾いた。
リハーサルの時に、フィッシャーさんが、
このコンサートを世界中の人に聴いてもらうんだから、
世界中の一人一人の魂に響くように、心して演奏しましょう、
と言っていて、素晴らしいコメントだと思ったが、
思いがけない場所を設定されて頭が白くなっていたので、
あまり聞こえていない頭で、
それにしてもなぜ世界中?とぼんやり思った。
そしたら、後から知ったが、ブルーレイか何かで録画したらしかった。
それで、毎年テレビでも流れているらしい。
いろいろな人に、
あれ、かおりだよね?と言われるので、知ったのだ。
みんな、多分かおりだろう、と思うのは、
わたしが完璧に左手しか見ていないので、
顔が正面を見なくて、本当のところはだれなのかな?と見えるらしい。
親しい人には、わたしだから横向いちゃったんだね、とわかるらしい。
眼力と高い舞台で、忘れられないマタイ受難曲になった。