チョコとビールのおいしいベルギーに住んでウン十年。
ヴィオールをかついで旅することの多い日々。
I'm sorry, it's only in japanese...

あなたはアムステルダムのコンセルトヘボウの舞台の

一番前に立ったことがありますか?

 

わたしは

舞台のいっちばん前で

ガンバを弾いたことがある。

あそこの舞台は高い。

これが、清水の舞台から飛び降りるつもりってことか、

と思った。

 

20160227_1573698.jpg

 

毎年コンセルトヘボウ・オーケストラによるマタイ受難曲は、

指揮者が違うが、

その年はマエストロ、イヴァン・フィッシャー氏だった。

と言っても、豚に真珠のわたし(ぶたさん)は、

どのくらい巨匠なのかよく知らなかったが。

 

そのフィッシャー氏はわたしと初対面の挨拶で、

「私もガンバを持っていますよ。オッセンブルンナー作です。

最近は弾く時間がありませんが」

とおっしゃって、わたしをうれしがらせて下さった。

声も心地よい。

しかし、その時の眼力のすごさ。

でもその眼力には、なんとなく心を揺さぶられる

大地、みたいなものが感じられ、ぶたさんのワタシにも分かる

迫力だった。

 

その年は、なんだかオケの後ろの方にわたしの席が設置され、

ちょっと気楽だなあ、なんて思っていた。

ところが、リハーサルが始まったら、

フィッシャーさんは自分より前の

ほとんど舞台から落っこちそうな位置に

わたしのイスを持って行ってしまった。

譜面台を置く場所もない。

譜面いらないでしょ?と。

ウイ、と言うしかない眼力。

 

その清水の舞台のように高い場所に座って、譜面台もないと、

わたしはどこを見たらいいんですか?と思う。

ガンバ弾きはシャイなんだから。

下を見るとわたしの足のもっと下にお客様の顔。

下を見ても前を見ても恥ずかしい。

 

それで、自分の左手をずっと見たまんま弾いた。

 

リハーサルの時に、フィッシャーさんが、

このコンサートを世界中の人に聴いてもらうんだから、

世界中の一人一人の魂に響くように、心して演奏しましょう、

と言っていて、素晴らしいコメントだと思ったが、

思いがけない場所を設定されて頭が白くなっていたので、

あまり聞こえていない頭で、

それにしてもなぜ世界中?とぼんやり思った。

 

そしたら、後から知ったが、ブルーレイか何かで録画したらしかった。

それで、毎年テレビでも流れているらしい。

いろいろな人に、

あれ、かおりだよね?と言われるので、知ったのだ。

みんな、多分かおりだろう、と思うのは、

わたしが完璧に左手しか見ていないので、

顔が正面を見なくて、本当のところはだれなのかな?と見えるらしい。

親しい人には、わたしだから横向いちゃったんだね、とわかるらしい。

 

眼力と高い舞台で、忘れられないマタイ受難曲になった。

 

 

 

 

 

 

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英語の電話がかかって来ると、

ほとんどが夫に用事だ。

フランス語だとわたし。

 

その日も女の人から英語の電話だったので、

名前を聞くのも早々に、ちょっとお待ちを−と言って

夫に受話器を渡した。

あれ?マリーレオンハルトって聞こえたような?

 

そうなんです、奥様のマリーさんからお電話。

グスタフ(親しい人はウッティーと呼ぶ)のお誕生日に、

モーツァルトのクインテットを家で聞きたいということで、

クイケンカルテットに+1でお呼ばれの夫。

その際、ご家族連れでどうぞとおっしゃるではないか。

よかったらお泊まりください、と。

えぇ!ほんと?

 

今度は息子を妊娠中でのんびり家にいたわたしと娘、

行きますよ、行きますよ、アムステルダムに。

レッスンのときはレッスン室とトイレだけだったが、

こんどはお泊まりだ。どんな家なのか!

 

さあ、着いた途端に泊まる部屋に案内される。

一番上のそのまた上。急な階段を上りつめた部屋。

昔で言うと、女中部屋。物置き部屋の横だ。

古い机や絵が雑然と置いてある大きな部屋の横の、小さな一部屋。

しかし、ちゃんと私たち3人が泊まれるようにして下さってあった。

白いシーツがピーンと。

 

ちなみにヴィーラント・クイケンと

ヴァイオリンのフランソワ・フェルナンデスは

子ども部屋で二人いっしょだ。

みんながリハーサルの間に、見に行ってみた。

縦につながっていて、小さい。

フランスのお城などもそうだが、昔のベッドは案外小さい。

みんな今より背が低かったそうだ。

ここはオランダだけど子ども部屋のベッドだからか、

小さくて足が伸ばせない、と

ふたりはちょっとだけぶつぶつ言っていた。

 

シギスヴァルトとマルレーン夫妻の寝室はちょっと大きくて、

ドアのすき間からしか見えなかったけど、

大きなベッドの横に、お盆を両手に持っているような様子の、

等身大の黒人で、古い時代のものらしきお人形が立っていた。

どの部屋もバロック時代の色と布だ。

 

階段の踊り場が案外広くて、

ある階には、小振りだが縦長のパイプオルガンが置いてあった。

別の階の踊り場は、奥様の着替え室なのか、カーテンで仕切ってあった。

 

家をちょっとだけ探索させて頂いた後は、

もうすぐ6才になる娘を連れてアンネ・フランクの家に行った。

なぜかというと、そこのすぐ裏の方にあったからだ。

ところが私もその時に知ったのだが、

娘は戦争関係の悲惨な空気に超敏感だった。

順番が来てようやく入場料を払って、さあ、と娘の方を振り向いたら、

何かを感じてもう泣くわ泣くわ。

だが後戻りできない仕組みになっているので、

仕方なく娘の目を覆って、出口まで家中を駆け抜けた。

 

疲労困憊してレオンハルト宅に戻ると、ご夫妻が優しく、

どうしたの?と聞いて下さり、

訳を話すと、マリーは、そうよ、子どもには辛すぎたわね、

とおっしゃってくださり、

その横でグスタフがうんうんと優しい顔でうなずいて下さった。

 

レオンハルト氏は、とてもシャイらしい。

自分で催して、自分の友人ばかりが聞きに来たそのコンサートで、

サロンのど真ん中に主役としての自分の席が用意されていたが、

ずっとドアの外で聞いていらっしゃった。

真ん中に座るのが、どうも照れくさかったのだろう。

わかるけど。わたしも照れくさいと思う。

でも、そこだけ空いている席を見ていて、

コンサートの間中、いつお座りになるのかが気になった。

 

薄明るい夏の夜のコンサートが終わり、

地下と言っても庭とつながっているお部屋で

お食事が出た。

廊下も、どの部屋も、もう暗い時間。

ところが、さすがバロック音楽を極めた巨匠らしく、

どの部屋もろうそくの明かりだけだ。

 

日本人の私の目だと、見えない。

何を食べているのか、見えない。

人の顔も近づかないと、なかなか判別できない。

 

そのバロックの貴族の部屋のような空間から、

一番上の小さくて急な階段を上った自分たちの部屋に着いたら、

電気も付いて、なんだかほっとした。

 

 

次の日の朝は、パーティーのあった部屋で朝食を頂いた。

骨董の食器らしかったし、背をぴーんと伸ばして

お紅茶を頂いた。

(サロンには何代目だったか、柿右衛門の骨董もあった)

 

ざっくばらんなシギシヴァルトとマルレーンが

いっぱいしゃべってくれたので、

それでも多少くつろいで、みなさまのお話を聞き、

貴重なレオンハルトご夫妻のお顔を、見ていた。

 

 

最後は、家の前でみんなで記念撮影をさせて頂いた。

 

家宝にとってある。きっとどこかにある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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    ある日、まだコンピューターがなかった頃、

    ゴトゴトゴト、と音をたてながら

    電話からファックスが出て来た。

     

    手に取ってみて、びっくり仰天。

    もちろんすべて手書きで、

    最後の行に達筆な

    Gustav Leonhardt。

     

    ミーハーなわたしはすぐに夫に報告した。

    なぜならそれは夫宛だったのだ。

    今度共演するコンサートのプログラムだった。

    しかし、ミーハーでないオットは、

    曲目だけ確認すると

    他に感慨はないようだったので、

    わたしがファックスをもらって、

    いつか額に入れて飾ろう、と

    今日まで「あそこ」に

    しまっておいた。

     

    その「あそこ」は一体どこに行ったのか。

     

    ともかく、娘を生んだばかりで家にいたわたしは、

    このコンサートを聴きに行こう!と決めた。

    しかも場所はイタリアのヴィチェンツァにある

    オリンピコ劇場。

    16世紀に建てられたままの舞台装置が残っている劇場だ。

     

    夫は数日前に風邪を引いたまま飛行機に乗って中耳炎になり、

    何も聞こえないよ、と言いながら出発し、

    巨匠との共演に緊張するようすもない。

     

    そんな夫や、自分の師匠であるヴィーラント・クイケン、

    そしてトラヴェルソの巨匠バルト・クイケンもいたが、

    ベルギー人の彼らに会うのは慣れているので、

    わたしはもっぱらレオンハルトに目がくらんでいた。

     

    リハーサルは当日のみ。

    私は早速娘をバギーに乗せ、

    わたしたちだけの客席を満喫した。

    この劇場に、ムッシュー・レオンハルトあり。

    なんて贅沢なんだろう。

    そして、これが人生初のコンサートである娘の、

    なんと高級なスタートか!

     

    すっかりくつろいで聞いている私に、

    突如ちょっと存在を忘れていたヴィーラント師匠が

    私に向かって手招きをしている。

    なんでしょう?と。

    そして、おお!わたしも舞台に上がったよ。

    娘も一緒にこの歴史的な舞台に!ありがとう!

     

    そんなわたしに師匠が、

    どんな音がするか聞きたいので、ちょっと弾いてみて、

    と言うではないか。

     

    娘を生む1ヶ月前からその日まで、

    ガンバを練習しない日々を謳歌していたわたしは、

    さーっと現実に引き戻された感があり、

    あ、わたしはガンバ奏者だった、と思い出した。

    え?師匠のオリジナルのガンバを、

    子育てで数ヶ月楽器に触っていない私が弾いて

    音が出るのか?

     

    そこに追い討ちをかけるように、バルトが

    レオンハルトに、かおりの伴奏をしてちょうだい、と言った。

     

    ああ!あなたは知らない。

    おんなが子どもを産んだ直後はね、

    もう3ヶ月以上指なんて動かしてないのよ。

     

    それをなんで、今ここでこの状況か。

    しかも超難曲のクープランのソロだし。

     

    そして、にっこりとレオンハルト氏は

    わたしが弾き始めるのを待っていらっしゃる。

     

    これは幸運なのか、果たして。。。

     

    とてつもなく長ーい時間弾いたような1小節1小節だった。

    優しく少ない音なのにゴージャスな通奏低音だというのを

    おぼろげに聞いた。

     

    両極端な一日だったが、素晴らしいコンサートも終わり、

    夕食を食べにレストランに行ったのは

    23時半をとっくに過ぎていた。

     

    私と夫は、さすがに真夜中だもんね、と言いながら、

    何だったか少し軽めのものを注文した。

    そこで、カウンターテナーのお声のレオンハルト氏が、

    ステーキとフリッツを注文。

    大きなサイズのステーキがジュウジュウとテーブルに運ばれて来たのは

    すでに24時だ。

     

    わたしは、コンサートよりも、

    この夜中に70才過ぎてステーキとフリッツを平らげる巨匠に

    びっくりした。

    これぞ音楽家の体力と活力の証、源、外人。

    わたしも肉で勝負だな、と思った。

     

    さて、次に思い出すのは、

    なんといよいよ、レオンハルト巨匠の家に

    泊まることに!

     

    続く。

     

     

     

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    グスタフ・レオンハルト。

     

    名前が既に重厚である。

     

    この巨匠に初めてお会いしたのは、ベルギーに留学してすぐのことだった。

    オランダのコンセルヴァトワールに聴講に行ったら、

    かのレオンハルト氏がバッハのh−mollミサを録音しているから、

    見に行く?と誘われた。

     

    ソロはルネ・ヤコブスとイザベル・プルナール。

     

    ハーレム市にある教会だったと思う。

    留学して、いきなりそんな巨匠と有名な歌手の録音に遭遇するとは、

    ラッキー!

     

    ところが、わたしは録音がどういう状況なのか

    あまり把握していなかった。

    何度も何度も同じ箇所をやり直すんですね。

    なんと、わたしはたったの3回位聞いたら寝ちゃった、気持ちよく。

     

    起きてみたら、目の前に重厚なお名前のグスタフ・レオンハルトの顔が

    にっこりとしたアップでありました。

    ハテ。

     

    ぐうぐうが、うるさかったそうです。

    すみません。

     

    その次にレオンハルト先生にお会いしたのは、

    お弟子さんの試験に頼まれて、

    ラモーのコンセールのレッスンを受けに行った時。

    初めてご自宅に。。。

    まずは、緊張して着くなりトイレに。

    しかし、博物館のようなお家で、トイレのドアが見つかりません。

    円形の壁に隠しドアのように壁と一体化して、ありました。

    トイレまでバロックだ!と感動していざレッスン。

     

    まず一曲弾き終わった私にそっと近づいて来て、

    巨匠はおっしゃった。

    「この時代のヴェルサイユ宮殿では、

    貴族たちは、ひそひそ、と上品に会話したんですよ、

    だから、そっとつぶやくように弾いて下さい」

    そこからわたしのこの曲のピアニッシモ演奏が始まった。

    そして、その曲をお弟子さんの試験で弾いた時に、

    褒められたんです。

    忘れもしない、

    「The balance was perfect」と小さなお声で。

    聞きに来た人たちに、ピアニッシモ大会だったね、と言われたって、

    それがなにさ。

    その曲をピアニッシモで弾くことは、その後何年も何年もずっと続いた。

     

    「レオンハルトは、その時代にそういう声でしゃべってたって、

    聞いたことあるわけ?」

    と、仲間に言われるまで。

     

    。。。

     

    さて、その次に思い出すのはイタリアはヴィチェンツァ。

     

    続く。。。

     

     

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