チョコとビールのおいしいベルギーに住んでウン十年。
ヴィオールをかついで旅することの多い日々。
I'm sorry, it's only in japanese...

面白いのかどうかわからないが、

どうしてガンバを始めたんですか?とよく聞かれるので、

ガンバを始めて止めなかったわけを書こうと思う。

 

2才の時にヴァイオリンを習いたいと言って3才で習い始め、

あまり練習もしない子どもだったが、小学6年生まで続けていた。

水戸でその頃唯一だったと思われるヴァイオリンの北見先生は、

生徒が小6になると、皆に東京の先生のところに行きなさい、と勧めていた。

 

さて、わたしも小6になったある日、東京に行くのはどうか、

という話になった。

しかし、一体全体どこに行けばいいのか。

音楽家には多分ならないだろうと思われる、練習もしない娘のために、

どなたを尋ねてわざわざ東京に行くのか、両親にはわかるはずもない。

父は知り合いの大学の音楽の先生に、どうしたらいいですか、と聞いてみた。

その歌の先生は、ガンバの先駆者である大橋敏成氏の芸大の後輩だった。

それで、ヴィオラ・ダ・ガンバという楽器があって、

その楽器は教会で演奏されることの多い楽器である、

ヴァイオリンではなく、そっちの楽器をやってみてはどうか、

と勧めてくれた。

牧師であった父と、それ以上に熱い信仰を持っていた母に、

この「教会音楽を弾く楽器」というセリフが

神の啓示のようであったことは

想像するまでもない。

それと、希少価値、というのがポイントだったらしい。

まだ、あまり弾く人のいない楽器。

競争向きではない娘には、居場所が最初からある方がいい。

 

実際、「やります」と言ったら、弾いてもいないのに、

その日からその頃まだ日本で5人しかいないガンバ奏者のひとりです、と

当時のガンバ協会の会長さんに言われた。

 

よこたみのる絵_0012.jpg

 

わたしはと言えば、音楽家になるとは思ってもいない12才。

「足長おじさん」に傾倒していたので、孤児院の院長先生になりたい、

などと考えていた。

ヴァイオリンは練習もしないが、止めるということも思いつかないほど、

ぼーっとしていた。

2才で習いたいと言った割には、その後の意志はどこへ行ったか。

 

ともあれ、まだクラスの同級生たちのほとんどが、

利根川を越えて東京に行ったことがない時代だっただけに、

ひとりで東京に行く!というのは魅力だった。

 

そんな成り行きで勧められるままに大橋先生の家に通い始めた。

大体、ガンバって何?

広辞苑で調べたら、絵付きで出ていて、大きいなと思った。

マレや何やら、それまで弾いていたベートーベンやチャイコフスキーとの

時代の区別もなく、始まった。

 

ヴァイオリンも、バロックヴァイオリンを続ければいい、と言われ、

何だそれは、と思いつつ、

シギスヴァルト・クイケンと勉強して帰って来たばかりの

小野萬里さんのもとにも通うことに。

 

ちなみにガンバを勧めてくれた音楽の先生は、池田明良という方で、

そのずっと後に歌手の米良美一氏が学生だった頃、

まだテナーだった彼に、カウンターテナーを歌ったらいいと

助言した人物だ。

後に米良君と、その素敵なご縁を語り合った。

 

つづく。

 

 

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