さて、初めて狛江の大橋先生のお宅に伺ったのは、
そんな訳(その1参照)で小学6年生の時だった。
水戸から延々3時間の道程を経てたどり着くと、
そこには田園風景が広がっており、水戸よりもずっとのんびりしていた。
その景色の中をてくてく歩いて行くと、素敵な洋館が建っており、
玄関のドアを開けて頂いたら、中は照明がヨーロッパ風に少し暗めであった。
そのちょっと暗めなのに、まず驚き、
次に大橋先生の髪の毛がちょっと長めで、
くるくるとしているのに驚いた、と言うより、
恐れをなした。
緊張のうちにヴァイオリンをお聞かせしたりしたのち、
帰り道の田園風景の中で、わたしは一緒に行った母に言った。
あの先生、髪の毛がくるくるしていて、なんだか怖いなあ。
母は、うーん、芸術家っていうのは、
ああいうベートーヴェンみたいな人なんじゃないの?
と答え、わたしは、もの凄く納得した。
頭の中に、学校の音楽室のベートーヴェンの絵が浮かび、
生まれたばかりのあひるが、最初に見た者を母親と思い込むのと同様で、
この人はベートーヴェンのような芸術家なのだ、という思いは
その後もずっとわたしの中から消えることはなかった。
その後、大橋先生のお宅で何年もレッスンをして頂いたのに、
こんなことを思い出しては申し訳ないかもしれないが、
もう一つの強烈な思い出は、メロンである。
当時メロンと言えば、普通の家庭でプリンスメロンが出ただけでも、
クラスメートがわっと喜ぶ果物であったが、
なんとマスクメロンが出てしまったのである。
しかも、大きく切ったスイカのようなメロンにフォークとナイフ。
このフォークとナイフを見つめることしばし、
もう先生の声も聞こえません。
頭の中で、これはどうやって食べるのか?がぐるぐるした。
結構です、とお断りするにはあまりにもったいないが、
スイカのようにかぶりつく訳にもいかない。
右から左から観察熟考している時間がとても長く感じられ、
いらないと思って下げられてしまったらどうする!
ということまでも頭をよぎる。
家で食事にもナイフとフォークなど使わない時代の子どもである。
しかし人間、切羽詰まると知恵が湧くものである。
どうにかこうにかナイフとフォークを使って食べた。
レッスンのことなど、何も覚えていない、
きれいにメロンを食べられた満足のためだけの、往復6時間であった。
つづく。