チョコとビールのおいしいベルギーに住んでウン十年。
ガンバをかついで旅することの多い日々。
I'm sorry, it's only in japanese...

さて、ブリュッセル王立音楽院の入学試験である。

 

地図を見ながら学校にたどり着き、門のところまで行ったら、

親切な人がドアを開けてくれた。

ずっとあとで、同じく入学試験を受けに来た

ジェローム・アンタイ(Jérôme Hantaï)くんだと知る。

 

ともあれ控え室らしきところに案内され、呆然と立っていたら、

にこにこした人が近づいて来て、

「カオリ・ウエムラ?」と言った。

わたしは、この人は一体誰か?と思った。

なにせ、インターネットのない時代である。

ヴィーラントの顔は、その時から20年ほど前に出たLPの写真で唯一見た

黒い髭もじゃの人だったが、

この人はこざっぱりしていて、ヒゲも黒くないし短い。

 

校長先生とか、事務の人かもしれない、と思った。

なぜ名乗ってくれないんだろう、

もしかしてヴィーラントなのかな?と思い悩みつつ、

試験を受けた。

終了後、そのこざっぱりした人が近づいて来て、

試験は合格だが、今年から外人枠がせまくなっていて、

入学できるかどうか分からない、と言った。

 

その人の目の色がすごく青くて、どこに焦点を合わせてしゃべっているのか

把握できない。

それで、わたしの後ろには誰もいないというのに、

何度も後ろを振り向いて、話し相手が自分であることを確認した。

 

最後にブリュッセルに入れなかったら、

かおりのためにデン・ハーグの学校に場所をとっておいてあげる、

と言ってくださり、やっと、ああこの人はやっぱりヴィーラントだと

納得した次第である。

 

そのときわたしは、たどたどしいフランス語で、

「わたしはフランス語で勉強したいので、オランダに行く気はありません」

と言ってしまったのである。

 

夕日を背にした青い目の(ほんとは緑っぽい)巨匠が、

二の句が継げない、という顔になっているのを見た。

 

つづく。。。

 

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    ベルギーに留学する前の学生時代、

    わたしはいろんなコンサートに顔を出し、

    特にヒゲの3人に犬っころのようにかわいがってもらった。

    ガンバ奏者の宇田川貞夫氏、リュート奏者のつのだたかし氏、

    リコーダー奏者の吉澤実氏である。

     

    初めてつのださんの実家である、

    東京で一番最初にできた新宿の美容院に行った時、

    宇田川さんにもつのださんにも

    「かおりー」と呼ばれた。

    つのださんとは初対面でもあったので、

    「あのー、ちょっとお聞きしますが、

    初対面なのにどうしてかおり、と呼び捨てするんですか?」

    と聞いた。

    「お前はそういうやつだよ。」

    と意味不明な返事をもらったが、わたしは、

    「そうなのか」と思った。

     

    実はそれまで年上の人と話すのが超苦手で、

    先輩を含め、先生にレッスンを受けている時ですら、

    ろくに返事もできない子であった。

    しかし、その時わたしのoffだったスイッチがonになり、

    ヒゲの3人とバカ笑いしながらしゃべれるようになった。

     

     

    そのヒゲの面々に、いかにヴィーラント・クイケンと勉強するといいかを

    吹き込まれたので、大橋先生の

    「ジョルディ・サヴァールのいるバーゼルに行くといいのでは?」

    というご助言が全然耳に入らなくて、ベルギー!と決まった訳である。

    すわ、大学の授業をさぼって、アテネフランセに通い、

    せっせとフランス語を学んだ。

     

    そんな訳でいよいよベルギーで入学試験を受ける日が来たのである。

     

    つづく。

     

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      わたしがガンバをやめそうになった時が二度ある。

       

      まず高校受験の時。

      受験勉強を言い訳に、全然ガンバの練習などせずに

      それでも往復6時間の東京でのレッスンに行った。

      よく親も何も言わずに電車賃を出したと思う。

      ちなみにレッスン代は破格の2千円であった。

      遠くからはるばるいらっしゃるんですから、という大橋先生のご好意である。

      自分が親になって子どもに習い事をさせる今、改めて驚く。

       

      そんな練習もしないで行ったレッスンが何度か続いたある日、

      多分今考えると、

      さすがに先生もあきれていらっしゃったのではないかと思われるが、

      もう来なくていいです、と言われた。

       

      わたしは、もう来なくていいって、と気楽に母に伝えた。

      受験に専心する時期であったので、かえってラッキーと思ったのだった。

      そして約半年ほどのんびりと休み、いや、せっせとそれなりに勉強し、

      近所の高校に受かってしばらくのんびりしていた春休みのある日、

      母がガンバの先生に電話したら?と言った。

       

      もうやめる、という気も特になかったので、先生に電話したら、

      来る気があるならいらっしゃい、と言われた。

      それで、またぼつぼつと通うことになった。

      全くもって受け身である。

      そのまんまのんびりとまた東京に通うことになったが、

      その当時はやっていた「エースをねらえ!」にすっかり夢中になり、

      テニス部に入ってテニスばかりやっていた。

      ガンバを練習する時間はない。

      岡ひろみになった気になって、藤堂さんの出現を待っていた。

      東レの試合を東京まで見に行き、

      キング婦人にファンレターを渡したりしていた。

      テニスをやった後は指がぷるぷると震えるので、ガンバは弾けない。

       

      世界を目指してエースをねらってしまっていたので、

      ごく初心者の試合なのに持久で勝つという考えがなかった。

      それで、試合中一発でもエースが決まれば大満足であったので、

      試合に勝つことはなかった。

      そんなある日、進路を決めて

      受験する大学を選択する時期がやって来た。

       

      体育大学に行くのか、音大に行くのか。

       

      スポーツというのは勝たなくては話にならない。

      勝つ気のあまりないわたしは、スポーツには向いていないな、と思った。

      それですっぱりとぷるぷる指の震えるテニスを止めて、

      音大受験のために絶対に弾かなくてはいけないピアノを練習し始めた。

      一年間同じ曲をずーっと練習した。

       

      そんなのんびりとした選択であったのに、

      音大に受かったとたんに留学することに決めた。

      それは、幼稚園のときから外国に住もう!と思い込んでいたからである。

      ガンバでなければ、他の理由で日本を出るつもりであった。

      小さい頃うちに来た外人が、わたしの妹をもらって連れて帰りたい、

      と言うことが何度かあった。

      なぜ、わたしではないのか?残念だなーと思うような子であった。

      もしわたしが連れて帰られたら。。。

      その後のわたしの頭の中は、赤毛のアンであったり、

      秘密の花園の少女であったり。。。

       

      その甲斐?あって、ベルギーに初めて到着した日、

      前から知っている場所のような氣がした。

      そして、いよいよ巨匠ヴィーラント・クイケンのもとへ。

       

       

      つづく。。。

       

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